日本の天皇
日本では「大王」(おおきみ)が君主号であり、対外的には後漢、魏、南朝より倭国王として封ぜられていたが、やがて関係は途絶えた。隋が中国を統一し、対外関係を通じて国家意識が再構築される時期に「日本」の国号と前後して「天皇」号が導入され(具体的時期には諸説)、「皇帝」と同格の称号を名乗ることとなった。但しこれは国内向けであり、隋、唐への朝貢使は、天皇の使節と名乗る事もあったが、基本的には外交称号として日本国王の名代と名乗った。この点は越南や当時の朝鮮とも類似している。
やがて、鎌倉時代になると、政治の実権は天皇ではなく、征夷大将軍源頼朝が握り、日本は貴族ではなく武士が世の中を治める事となった。その間、日中間の正式の外交貿易は行われなかったため、外交称号を用いない時期が続いた。やがて時が移り、室町時代になると、明との間で公式に貿易が行われる事となった。この時、足利義満は征夷大将軍の称号を用いたが、明はこの称号を認めなかったため、義満は日本国王の称号を用いた。これは朝廷からは「他国より王爵を得た」という批判を受けたが、日明貿易はしばらく続いた。やがて、明が対外貿易に消極的になり、日本は戦国時代に突入したため廃れていった。
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遠い世界
江戸時代には、徳川将軍家は「日本国源秀忠」という肩書きを使用しない署名を国書に用いていた。しかし、朝鮮との外交を担当していた宗氏は独断で国書を偽造し、国書の署名を「日本国王」とした。これが柳川一件として問題視されたため、徳川は日本国大君の称号を使用する事となった。大君の称号は、やがてヨーロッパにまで伝わり、タイクーンという「実力者」や「大物」を意味する英単語となった。
明治政府は独立国の君主号を一律に「皇帝」とした。天皇も当初は対外的に「日本国皇帝」を称し、国内的にも一部で「皇帝」号を使用したが、最終的には対外的にも「天皇」と称した。
古代、欧州において「皇帝」の称号は、専らローマ皇帝を意味した。当初のローマ皇帝即位の要件は元老院・市民・軍による推戴であり、キリスト教国教化の後は教会の擁護者という位置付けが加わる。